ハリボテ化するものづくり?

以前もご紹介した神門善久先生の『日本農業への正しい絶望法』

改めて拝読しております。まだ第2章までしか読んでいないのですが、農業なんて自分の専門じゃないし、とか、興味ないし、
などと思っている人にこそ読んでほしいです。日ごろから農産物を買い、食している以上 無関係ではないはずです。

さらには神門先生の研究者としての真摯な姿勢と人柄をも文章の端々から感じとることができます。

何か物事を決めるのはいつも行政にまかせ、誤った判断だったとわかれば急に”えせ当事者意識=私権”を持ち出して、行政をたたく。

なにか物事を決める段階の議論における”市民参加”という民主主義が働いていないこと、メディアのつくる虚構に気づかず「空ろな消費者」でいるかぎり、メディアが虚構を作らなければ(ハリボテ農作物を)高く売ることができない構造のむなしさもこの本から学びました。

つまり、農業だけの問題ではありません。あらゆる問題や社会状況の一端として農業の現場が直面している苦悩を、神門先生は(技能をもった)農家の人たちと共に考えてきたことが伺い知れます。

アートの現場もものを作るという行為の類似性からいつハリボテ化するかわかりません。先日岩間さんにお会いした時に、日本各地の様々な現場を視察した感想を聞くと、もうすでに起こっているような気配もありました。

「立派なチラシができあがっているところほど、実はあまり中身がないことが多い。景色はあるんだけど、表面的なハリボテかなぁ。本気で取り組んでいるところほど外に発信する余裕が持てずにいる。」という話は非常に興味深かったです。

しかしそれは必ずしも現場の人間が悪いのではなく、芸術をとりまく制度や環境の問題かもしれません。
すなわち以前ご紹介したジョン・ホールデンの論考「Cultural Value and the Crisis of Legitimacy」(J.Holden)
文化の本来的な価値をめぐる、文化(制度)の正統性の危機かもしれません。
こうしたさまざまな状況、そのひとつひとつに対して、私たちがどこまで物事をひきうけて考えられるか、当事者になれるのかが改めて問われていました。

神門先生の著書をふまえ、勉強会を計画しています。

(投稿者:風間勇助)